カメハメハ大王像は、1819年にハワイ諸島を統一してハワイ王国を建国した初代国王の「カメハメハ1世」の像です。
この時は、カウアイ島とニイハウ島はカメハメハ大王の手中には入ってませんが、後に2島は全面戦争を避けるためにカメハメハ大王に平和的に移譲され、1810年に8島全ての統一が成されました。
カメハメハ大王は、身長が2メートル近かったとも言われる大柄な体格に恵まれ、パワーのみならず、優れた外交感覚の持ち主。
そんなカメハメハ大王の像は、ハワイに3体、それ以外にもう1体の合計4体もあるのです。
1体の方が有り難みが増しそうなものですが、なぜ何体もあるのか?
その理由と、ハワイでカメハメハ大王像に会える場所をご紹介します。
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カメハメハ大王像の場所
それぞれの銅像のモデルはカメハメハ大王ではなく別人!
なぜなら、カメハメハ大王の実際の写真は1枚も残っておらず、肖像画が数点残っているだけだからです。
なので、それぞれの像は顔が違うのでよくご覧くださいね。
オアフ島ホノルル ダウンタウン
このカメハメハ大王像は、1883年、7代目の王であるカラカウアの戴冠式と同日に建立され、カウラカウア大王が除幕しました。
このカメハメハ大王像は2体目というのは有名な話です。
1体目は、1778年にキャプテン・クックがハワイ諸島を発見してから100周年を記念して、翌年にイタリアでオリジナル像が制作されパリで鋳造。
船で南米のチリをぐるっと周ってハワイに運ばれてくる途中、嵐に遭い、南大西洋のホーン岬付近で船ごと沈没してしまいました。
その後、2体目が作られ建立されたのが、現在のカメハメハ大王像です。
台座の銅版画(レリーフ)
大王像の土台の四辺には、カメハメハ大王の生涯の主な出来事を表した4枚の銅版画がはめ込まれています。
主な出来事とは何でしょう?
■正面の銅版画
「砕けたパドルの法律」の舞台。カメハメハ大王が定めた法律「すべての老人、女性、および子供が、自由に旅ができ、路傍で安全に休息できるようにする」。
■銅像左手側の銅版画
ハワイ諸島を発見したクック船長のレゾリューション号がハワイを訪問する場面(若きカメハメハも実際、レゾリューション号に招かれ乗船しています)
■銅像右手側の銅版画
自分のカヌーの大軍団を眺めるカメハメハ(800隻もの双胴カヌーをもっていました)。
■背面の銅版画
カメハメハが一度に6本の投げられた槍を受け止める。!!!
四方の台座の銅版画(レリーフ)の解説はここにあります。
背後にある建物は?
カメハメハ大王像の背後にある宮殿のような建物は何でしょう?
海外テレビドラマ「HAWAII FIVE-0」では、ファイブオーの本部という設定になっていますが、あくまでもドラマの設定。
実際は「アリイオラニ・ハレ」と呼ばれる、ハワイ王国の国会議事堂や裁判所として使われていた建物です。
もともとはカメハメハ5世の宮殿として設計された建物で、ハワイ王国時代の歴史的建造物です。
カメハメハ大王時代の裁判、昔のホノルルの町の模型、 ハワイ州最高裁判所の部屋や司法歴史博物館など、見応えあります。
見学は自由ですので、是非、カメハメハ大王像とともに訪れてみてくださいね。
行き方
The Bus:ワイキキから2・13番バス
ワイキキトロリー:レッドライン「カメハメハ大王像」下車
JTB電気バス:ダウンタウンルート「カメハメハ大王像」下車
LeaLeaトロリー:ワード/カカアコ/ダウンタウン・ライン「カメハメハ大王像」下車
レンタカー:駐車場はイオラニ宮殿内か付近のパーキングメーターに駐車
ハワイ島カパアウ
船ごと沈んでしまった最初につくられたカメハメハ大王像は、その後、海底から引き上げられました。
そして、カメハメハ大王の生誕地とされているハワイ島のノースコハラにあるカパアウという町に建立されました。
こうして海底から生まれ故郷に戻れたことに、目に見えないパワーを感じてしまいます。ホノルルのダウンタウンではなくこちらに来たかったのかも。
鮮やかな黄色のガウンをまとって、黒目が入っている像は、カパアウのカメハメハ像だけです。
観光客もほとんどいなくて、静かなのんびりした町です。こうして、この町を初代のカメハメハ大王像は見守っています。
場所
ハワイ島ヒロ
ハワイ島のヒロはハワイの第二の都市でもあり、カメハメハ大王が初めて政権を設立した町です。このカメハメハ大王像は、ヒロ湾を見渡すように立っています。
高さ4.2mと他のカメハメハ大王像より背が高く、1963年イタリアの鋳造場で造られました 。
もともとこの像は、カウアイ島のプリンスヴィル株式会社が、ホテル内に設置しようとしたのですが「カウアイ島は一度もカメハメハ大王に征服されたことはない」と島住民の大反対に。
そこで、プリンスヴィル株式会社はハワイ島に寄付し、1997年6月に現在のところに建立されました。
ヒロにはストリートの名前にも「KAMEHAMEHA」があります。
ワシントンDCの国立彫像ホール
アメリカの首都ワシントンDCのキャピトルヒル(日本の国会議事堂のような場所)には、全米50州の歴史的な人物の像が展示されています。
ハワイ州を代表して展示されているのは当然のことながらカメハメハ大王像。
この像は、ホノルルダウンタウンにある2体目の大王像のレプリカです。
そして、ハワイ州を代表してもう1名、ダミアン神父像も展示されています。
カメハメハ大王の肖像画
ビショップ博物館にて
こちらの肖像画と、4体のカメハメハ像を比べると、雰囲気やお顔はまったく別人。
本物のカメハメハ大王は肖像画が近いそうです。そりゃそうですね、3体の銅像は別人がモデルですから。
銅像は上半身が裸に近く、いかにもたくましい南の国の大王という雰囲気ですが、肖像画の衣装は、白いシャツと赤いベスト、黄色のリボンスカーフを首に巻いています。
だからといって、カメハメハ大王は欧米人のようになろうとすることはありませんでした。
欧米のものを積極的に取り入れながらも、決してハワイの伝統や心、文化を失うことはなく、ハワイの伝統を非常に大切にしたリーダーだったのです。
伝統を重視することで、ひとつのまとまりのある集団としてハワイは団結できたのではないでしょうか。
カメハメハ大王の歌「南の島のハメハメハ」
日本でカメハメハ大王が有名になった理由は、おそらくこの歌「南の島のハメハメハ大王」ではないかと思います。
私が子供の頃「NHKみんなのうた」で「南の~島の大王は~その名も偉大なハメハメハ♪」をよく聞きました。その頃からぼんやりと、南の島にはハワイがあるんだなぁと知るのです。
今でも歌えますし、同級生も歌えるはず。
注目したいのは歌のタイトルと歌詞は「ハメハメハ」!
あれ?「カメハメハ」ではないのか?
カメハメハ大王が生まれた頃のハワイ社会には、文字がなく口承で受け継がれるので、「カメハメハ」でも「ハメハメハ」でも正解です。
文字になった歴史的な資料は存在していないので、カメハメハ大王の正確な出生の記録も残っていません。
カメハメハ大王のお土産
ABCストアーでミニチュアを見つけました。
50州25セント記念硬貨のハワイ州の硬貨です。普通に流通していますのでおつりで25セントを受け取ったときはチェックしてみてくださいね。
スーベニア・ペニーです。こちらはイオラニ宮殿の中の売店に、硬貨を記念メダルに加工するスーベニアメダルマシンがあります。
キング・カメハメハ・デー
毎年、6月11日はカメハメハ大王の功績を称える「キングカメハメハデー」というハワイ州の祝日です。
銅像は数日前からレイで飾られ、パレードなどセレモニーも開催されます。
時期的にもとてもおすすめのシーズンですので、6月初旬のハワイ旅行はいかがでしょうか。
カメハメハ大王は、ハワイ王国の基礎を築いた人物です。当時の日本は江戸時代の後期。
有能な統治者であったカメハメハ大王は、優れた外交力で西洋諸国と友好な関係を保ちながらも、ハワイの伝統と文化を大事に守ったのでした。