ハワイのこと、知れば知るほど楽しい!
今まで何気なく見ていたワイキキの景色が違ってみえてくる。
ワイキキの楽しさは、ビーチ、ホテル、レストラン、ショップだけではありません。
ワイキキの歴史スポットを巡り、ハワイの歴史や文化が自然と学べてしまう楽しいツアーに参加すると、それがわかります。
ところで、ワイキキに歴史スポットがあるの?
例えば、カラカウア通りの界隈には、ところどころに銅像があるのをご存知ですか?
・この人は誰?
・どうしてここにあるの?
ハワイの歴史上の人物が意味のある場所に銅像として置かれてます。
銅像だけではなく、ワイキキには歴史や文化が学べるような工夫が各所にあり、何気なく歩いていたワイキキで、ハワイの歴史を垣間見ることができるのです。
それを楽しめるのが、ハワイ州観光局公式のラーニングポータル「アロハプログラム」キュレーター&文化アドバイザーのさゆり ロバーツさんが主催する「ワイキキ歴史街道ツアー」。
これこそワイキキの穴場スポットでは?と思ってしまうほどおもしろい。
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ガイドのさゆりさんは、おもしろくて、親切で、美しく、リピーターさんが多いことにも納得してしまいます。
ロイヤルハワイアンセンター周辺
ワイキキのど真ん中とも言えるワイキキ・ショッピングプラザでガイドのさゆりさんと待ち合わせ。
ここからツアーがスタートします。
「ワイキキ」とはハワイ語で「水の湧き出る地」という意味です。
かつて、このあたりは一面がタロイモ畑や水田でした。水は豊かなんですね。
カラカウア通りを反対側に渡り、ロイヤルハワイアンセンターの広場に到着。この土地は「ロイヤル」という名前の通り、カメハメハ大王のものでした。
中央にはステージもありウクレレの演奏やフラなど、いつも観光客の休暇場として賑わっています。
ここにも、ハワイの歴史や文化がちりばめられているのです。
かつてのハワイ王家の別荘などがあった高貴なこの土地に、こうして、ホテルやショップが建ち並び、世界中からたくさんの観光客が集まっているこの様子を当時の王族が見たら、めちゃくちゃビックリすることでしょう。
昔ワイキキを流れていた川を再現した水場。ちょうどこの真下に川は流れていたのです。
さゆりさん「ここの水面は振動しているのがわかりますか?なぜかわかります?」
私「え?アメンボがいるのかと思いましたが・・・」←(ブブーッ!でした。答えは違います。)
このように、ところどころにクイズを交え「なぜだろう?」とはじめて考えるってことから、「なるほど!」と新しいハワイの発見が。
「へ~~~」「へ~~~」
とトリビアだらけです。
また、昔の古い写真や資料を見せてくれるので、今と比較しながらハワイを学び、自分が立っているこの場所が昔はこうだったのかと思うと、時の重みや感慨深いものがあります。
やしの木が茂っているところは王族が住んでいた高貴なところ。
オアフ島だけではなく、ハワイ島、マウイ島、カウアイ島も、例外なくその通りです。
ロイヤル・ハワイアン・センターの中庭では、ハワイ固有の植物を見ることができます。
ハラの木。ハワイ語で「ラウ」が葉、この木の名前が「ハラ」なので「ラウハラ」と呼ばれるカゴや帽子などの工芸品が有名です。
ハラは、雄と雌の木にわかれ、雌の方にはパイナップルのような実がなります。
この実を1つずつばらばらにすると、繊維が束になっていて、昔はブラシ代わりに使われていたそうです。
タロイモの葉がなんてイキイキしていること。葉脈が芸術的なラインですね。
タロイモも一種類のみならず、複数の種類が植えられています。これはつぼみです。
水場にカモの夫婦。観光客を気にもせずお散歩しています。は~慣れたもんだ。
ロイヤルハワイアンセンターの真ん中にある銅像は、少女に読み聞かせをしているビショップ夫人像。
ビショップ夫人は、カメハメハ大王の曾孫にあたり、旧姓はバニース・パウアヒ。
ハワイアンの女の子に教育の機会を与えようと尽力した人です。
18歳の時に学校で知り合ったチャールズ・ビショップと結婚します。
しかし、ニューヨークからやってきた貧しいビショップとの結婚は、当時は周囲から祝福される結婚ではありませんでした。
ビショップ夫人は52歳で亡くなり、遺書には自分の遺産で、ハワイアンの子供のために寄宿舎を伴う男女のための2校を設立するようにと残しました。
この遺言と財産を基に造られたのが、カメハメハ・スクールです。
ビショップは、カメハメハ王家最後の直系子孫である妻が相続した、王家伝来の美術工芸品や収集したものを、妻の追悼のために「ビショップ博物館」としてカメハメハ・スクールの敷地内に建てました。
ピンクパレスことロイヤルハワイアンホテル。
「この木なんの木」で有名なモンキーパッドの木。ネムの木です。下から見上げると葉と葉の隙間がとても繊細でなんて美しいんでしょう。
ワイキキビーチ
ワイキキでは有名なインスタ映えのするサーフボードが並ぶ歩道。
ここに人が誰もいないなんて奇跡的!
通りの途中にバナナとはちみつのみを原料にしたソフトクリームのお店「バナン」があります。1つにバナナ3本分をつかっているボリューム!と聞いて、ほぼ確実に残してしまいそうなのでトライをあきらめました。(※日本では横浜そごうにお店がOPEN)
これぞ、The・ワイキキ!!の景色。
ヤシの木の影が砂浜にうつっています。
こののどかで平和なビーチに、カメハメハ大王がハワイ統一を果たすために大軍を引き連れて上陸してきたのです。
こちらも、The・ハワイ!!ダイヤモンドヘッド。お天気が良いからダイアモンドヘッドがはっきり見えます。
火口付近のキラキラと輝く結晶をダイヤモンドと間違え「ダイヤモンドヘッド」と名付けたといわれてます。実際はペリドットだったらしい。
アウトリガー・ワイキキ・ビーチ・リゾートホテル
ホテルのロビーに上がると、歴史的展示物がたくさんあります。
カヌー単体だけだと安定が悪いので、カヌー本体の片脇あるいは両脇に平行して、アウトリガーと呼ばれる浮子がつきます。「アリガトウ」と読み間違える日本人も多いようですが「アウトリガー」です。
約1000年前、ポリネシア人は4000km離れたタヒチからカヌーに乗ってやってきました。
航海時代はこのように、家族で家畜とともに星の位置を頼りに航海してきたのです。カヌーに犬や豚が乗っています。
身動きできない。
このカヌーは丈夫なコアの木からつくられており、釘は一切使っていません。
インターナショナル・マーケット・プレイス
2016年8月にリニューアルオープンしたインターナショナルマーケットプレイス。
個人的には以前のオドロオドロしたまるでジャングルのようなインターナショナルマーケットプレイスの雰囲気が好きでした。
以前のインターナショナル・マーケットプレイスの入り口
ワイキキの近代的な建物の中に、ここだけ時間が止まったようなレトロな取り残された感が良かったなぁ。
とはいえ、シンボルでもある樹齢100年を超えるバニヤンツリーは、今でもそのまま活かされてます。
バニヤンツリーにツリーハウス。
小川やハワイの植物。
近代的なデザインの建物の中に、高級ブランドショップ、レストラン、バニアンツリーや小川やハワイの植物に歴史と、ここまでくると調和というよりも、カオス状態にも感じてしまいます。
ワイキキの歴史と文化を学べるプレートが25個配置されており、QRコードをスキャンすると学べます。
昔のワイキキの地図と当時の風景です。インテリアデザインとして溶け込んでしまって、歴史の資料と気づく人は少ないかも。
カメハメハ4世と息子のアルバート王子像。
カメハメハ四世は、強くなり始めたアメリカ勢力からハワイアンの文化を守るために、新英国を貫きました。イギリス寄りの王なのです。
ハワイ州旗
今でも、ハワイ州旗にはイギリスのユニオンジャックが左上にデザインされていますね。
王領の土地を英国国教会に分け与え、そこに主教座聖堂を作らせました。
それが現在ホノルルのダウンタウンにある、セント・アンドリュース大聖堂(カテドラル教会)です。
カメハメハ四世は、日本とも関係があり、咸臨丸がサンフランシスコからの帰路にホノルルに寄港。そのときの通訳はジョン万次郎で、カメハメハ四世に謁見、日本からの移民受入れに王が言及しています。
妻のエマ王妃像。
このインターナショナルマーケットプレイスの土地はエマ王妃が所有していた土地でもあります。
カメハメハ四世は、病気や免疫への抵抗力が無いハワイ人の人口減少を心配し、妻のエマと共に寄付を募り、現在のクイーンズ・メディカル・センターの基となるクイーンズ・ホスピタルを設立しました。
二人で一軒ずつ寄付を募ってまわったという話もあります。
ハワイで一番大きな病院で、日本からも研修医が来るそうです。
残念ながら、アルバート王子は病気のため4歳でこの世を去りました。
関連記事カメハメハ四世と妻のエマ王妃、息子のアルバート王子の夏の離宮
シェラトン・プリンセス・カイウラニ ホテル
プリンセス・カイウラニ・ホテルは、プリンセス・カイウラニが幼少期の頃に住んでいた広大な土地の南に位置します。
ホテルフロントにあるプリンセス・カイウラニの肖像。壁がクジャクの羽模様です。
この土地で乗馬、眼の前の海で、水泳、サーフィンを楽しんだと言われてます。
プリンセス・カイウラニが本当に座っていたと言われる石の椅子。はい、私も座らせていただきました。
当時、庭はプリンセスの大好きなたくさんのクジャクと香しいピカケの花に囲まれていました。
現在は、クジャクはいませんが、木彫りのクジャクの彫刻が庭にありました。
この彫刻の下をみると・・・
置物ではなく、自然の木ではありませんか!自然にはえている木に彫刻をしたのです。
余談になりますが、英語のピーコックをハワイ語読みすると「ピカケ」。プリンセスの大好きなものは同じ名前になりました。ピカケの花は甘酸っぱいジャスミンの香り。
プリンセスのみならず、私も大好きな香りすぎて、我が家ではピカケを育ててます。本当にいい香り。
ホテル内ではピカケを見かけることはできませんでした。
ホテルのフロントには、プリンセス・カイウラニや当時の風景写真がたくさん。
キングスビレッジ
※2019年1月末で閉鎖になりました。
キングスビレッジは、カラカウア王の邸宅跡です。
現在のキングスビレッジは取り壊しが決定しており、コンドミニアムとホテルの混合ビル(高層ホテルコンド)になるそうです。建設費用の高騰により予定は延期されているようですが。
このディズニーのような、かわいらしい建物を見られるのも今のうち!かも。
外から見るとこの建物の中にはいったい何があるのだろう?と思ってしまいます。
中に入ると、ショップが並んでいますが、壁にはハワイ王朝ゆかりの人物の説明が時代の古い順番に配置してあり、まるで博物館のようです。
カメハメハ王(1795-1819)
「太平洋のナポレオン」として知られるカメハメハ大王は、すべての島を統一した元気な指導者でした。彼は貿易と産業を奨励し、農業を促進し、ハワイの古代の方法と古い伝統が守られました。
カメハメハ二世(1819-1824)
カメハメハの息子は、彼の支配権を父の未亡人カウフマヌと共有しました。この頃から宣教師の影響力が始まり、カプ(タブー)制度が廃止され、プロテスタントキリスト教の道が切り開かれました。
カメハメハ三世(1825-1854)
彼が統治した30年間は列強の影響をもろに受けました。グレート・マヘレという土地の分配を導入し、国民、政府、王の間で土地を分けました。彼の演説の言葉、「Ua Mau Ke Ea O Ka Iina Ka Pono」(「土地の生命は正義の中で永遠に続く」)は今もハワイ州のモットーです。
カメハメハ四世(1855-1863)
インターナショナルマーケットプレイスにカメハメハ四世の像がありましたね。彼はカメハメハ大王の孫であり、妻のエマと主権を共有しました。
エマ王妃(1856-1863)
英国のマナーや文化を学び、宮廷に礼式を確立しました。後に選挙でカラカウアと闘いましたが負けてしまい、王座を取り戻そうとしたが失敗しました。
カメハメハ五世(1863-1872)
祖父であるカメハメハ大王を思い出させるような強く独裁的な態度で厳しい王だったと伝えられています。彼は生涯結婚をすることなく独身でした。後継者を選ぶ前に亡くなってしまったので、カメハメハ大王直系の王の時代は五代で終わりを告げることになります。
ルナリロ王(1873-1874)
初の国民による選挙で選出された王。選挙とはいえ、カメハメハ王家とまったく血がつながっていないわけではなかったようです。ルナリロは「民衆の王」として尊敬され、賞賛され、人気絶大!貧しい人、お年寄りのために老人ホーム「ルナリロ ホーム」を遺言でつくりました。
カラカウア王(1874-1891)
ワイキキで一番賑やかな大きな通りの名前にもなっている「カラカウア」。イオラニ宮殿を統治する最初の王。妻はカピオラニ。学者、詩人、ミュージシャンと多才で、ハワイの最後の王となった彼は、多くの古代神話やハワイからチャントを英語に翻訳しました。
リリウオカラニ女王(1891-1893)
カラカウア王の妹。芸術的にも多才な女王は有名な「アロハ・オエ」や、他にもハワイの歌を作りました。王権の強化拡大をはかりましたが、実業家達のグループによってイオラニ宮殿で幽閉されてしまい、ここにハワイ王朝は終焉したのです。
プリンセス・カイウラニ
クジャクを愛した「クジャク姫」としても知られています。とても美しいプリンセスで、叔母のリリウオカラニからはハワイ王朝を存続させるためにも女王になることを望まれていましたが、その機会は訪れませんでした。風邪をこじらせ23歳という若さで亡くなったなった時、彼女が飼っていたクジャクが一斉に泣き叫んだと言われています。
電話が展示されていました。電話というよりも飾り物に近いですね。
ワイキキのパワースポット魔法石
ワイキキビーチ交番横にある、ウィザード・ストーン・オブ・カパエマフと呼ばれる魔法石です。
ヒーラーが1ヶ月にかけてマナ(神が持つ偉大な力)を吹き込んだといわれる4つの石があります。
悪いエネルギーを取り除き、癒やしの力を与えてくれるという言い伝えがあり、周りにはレイがかけられていたり、お供えがあったり、神聖な場所です。
この石はどうやって運ばれてきたのか?というのは未だになぞだそう。
ワイキキ歴史街道ツアーまとめ
約2時間でここまで見てきましたが、ほんのワイキキの一角です。こうしてみると、ハワイの歴史を感じるものがたくちりばめられていたのですね。
ガイドブックに載っていないワイキキトレビアや、リアルなハワイ情報を聞きたい方は、さゆり ロバーツさんのツアーに参加して下さいね。
知られざるワイキキの秘密を知る ワイキキ歴史街道ツアー
他にもカラカウア通りの各交差点の足元の石にはハワイ語の説明や、
サーフボードの形をした記念碑があったりと、
ハワイの歴史と文化が守られていることがわかります。
ハワイ王朝の歴史がくりひろげられた土地の上にいると思うと、景色も色濃く、ちょっと違って見えてきますね。
次はダウンタウン歴史街道ツアーに参加します。
ツアーの様子はこちらから