ハワイ好きな大人女子へ

ハワイの歴史を簡単に学ぶだけでもハワイの魅力を再発見!

ハワイの女性

ハワイが米国のハワイ州となったのは1959年(昭和34年)。
同年の1月にアラスカがアメリカの49番目の州となり、8月21日にハワイがアメリカ50番目の州となりました。

長い歴史の中では、わりと最近の出来事と感じる人も多いのではないでしょうか?

太平洋の真ん中にある孤島の歴史は長い間外界から閉ざされていました。

ハワイのあちこちに歴史の面影がそのまま残されています。
日本から移住した日系人の歴史にふれてみるとハワイの魅力を再発見できることでしょう。

ワイキキにもたくさんのハワイの歴史が残っています。
歴史を知っていると何気なく過ごしていたワイキキも何倍も楽しめます。
ワイキキの噴水 知られざるワイキキの秘密を知りたい人にオススメ!ワイキキ歴史街道ツアー
ワイキキの歴史スポットを歩きながら、ハワイの歴史や文化を楽しく学ぶツアーに参加しました。今まで何気なく見ていたワイキキの景色がまったく違ってみえてきてしまいます。「へ~~~」とトリビアだらけで、ますますハワイが好きになる。

ハワイの歴史簡単年表

歴史を現在から過去へさかのぼる方が「なぜこの出来事があったのか?」の答えは過去にあり!
「なぜ?なぜ?」と過去にさかのぼる方が理解しながら覚えるにはおすすめです(受検勉強方式!)。

◆:日本の出来事

ハワイ州時代

  • 1959年
    ハワイ州誕生
    3月18日米国のアイゼンハワー大統領はハワイをアメリカ合衆国の州として認める新法案に署名。同年8月21日にハワイは正式にアメリカの50番目の州に。

アメリカ合衆国ハワイ準州時代

  • 1945年
    第2次世界大戦終結
    8月15日に終戦を迎え、9月2日に東京湾内に停泊していた戦艦ミズーリの艦上で、日本の降伏文書署名が行われ正式に集結。
  • 1941年
    真珠湾攻撃
    ◆昭和16年 太平洋戦争勃発
  • 1917年
    リリウオカラニ死去
    11月11日 79歳で波乱の生涯を閉じる。
    ◆大正元年
  • 1900年
    正式にアメリカ合衆国の準州となる
    6月4日に正式に米国の準州になり、ドールが初代知事に就任。
    ◆沖縄から初の移民到着
    ◆明治3年 自由移民の時代へ。ハワイから米本土への再移住の数も増加。
  • 1898年
    ハワイはアメリカ合衆国の領土に
    米大統領マッキンリーはアジア進出の補給地としてハワイの有用性を見いだしハワイ併合法案にサイン。
    イオラニ宮殿でハワイ国旗が降ろされ、代わって星条旗が掲揚された。
    ハワイの島々はカメハメハ大王に統一されてから、約一世紀を経てアメリカ合衆国の領土へ。

ハワイ共和国時代

  • 1895年
    リリウオカラニ女王幽閉

    リリウオカラニ女王が幽閉された部屋リリウオカラニ女王が幽閉されていた部屋

    王政復古を求める武装蜂起が起きる。リリウオカラニ女王の邸宅の庭から武器が発見されたことから、女王は共和国政府により逮捕され、イオラニ宮殿に8ヶ月間幽閉されることに。

  • 1894年
    ハワイ共和国成立
    ◆明治22年 私的移民の時代へ
    ◆日清戦争勃発

ハワイ王国時代

  • 1893年
    ハワイ共和国樹立へ
    女王はハワイアンの復権を求めて新憲法を発布しようとするが阻止される。
    衝突を避けるため女王は王位を退くことを決断。この時点で王国は終わりを告げるが、米大統領クリーブラントはリリウオカラニ女王に返還されるべきとし「ハワイ共和国」として存続。
    ◆明治26年 移民を保護する名目で巡洋艦「浪速」をホノルルに派遣。
  • 1891年
    7代目カラカウア王の妹リリウオカラニが8代目女王になる
    リリウオカラニ女王
  • 1889年
    ビショップ博物館開館
    ビショップ博物館
    ◆明治22年 大日本帝国憲法発布
  • 1887年
    カラカウア王は王権を制限する改正憲法に署名
    砂糖産業の繁栄とともに西欧人の経済界の力が強まり、 その圧力下で王の権力を内閣に分散させられることになる。米国への併合を求める親米派の動きが強くなる。
  • 1885年
    明治政府が正式に認めた「官約移民」到着
    ◆明治18年 ハワイへ官約移民開始
  • 1881年
    カラカウア王世界一周の旅へ
    砂糖農園での労働力確保に必要な移民の調査が目的。
    ◆明治14年 カラカウア王 東京で明治天皇に謁見し、日本からの移民を提案
  • 1876年
    アカラカウア王が米合衆国との互恵条約締結
    条約により砂糖産業は爆発的に拡大したが米国側に有利な条項であった。
  • 1874年
    選挙によりカラカウアが7代目王になる
    カラカウア王
    ルナリロが1年余在位して後継者を選ばずに亡くなったため再選挙となる。対立候補だったエマ王妃は英国寄りのため、米国系が大半を占める砂糖業者をはじめとする経済界に嫌われた結果とも云われている。
  • 1873年
    初選挙によりルナリロが6代目王になる
    ルナリロ王
    国王が後継者を指名しなかった場合、王家の血の流れている者の中から議会の選挙で王が選出される。対立候補のカラカウアに勝利したルナリロは高い教育を受け、音楽と文学にも造詣が深かく、民主的な思考と態度で「民衆の王」と称賛されていた人気者。
  • 1872年
    カメハメハ五世死去
    生涯独身で過ごし後継者も見つからずカメハメハ時代が終わる。
  • 1871年
    カメハメハ五世日本との友好条約締結
  • 1868年
    横浜からの最初の移民「元年者」到着
    元年者
    横浜で移民の募集が行われ150名がハワイの砂糖農園へ。自分の意思でハワイに渡った最初の日本人の一団。日本から海外への最初の移民。最初の明治政府は正式に認めておらず仕事の内容説明が正確でなかったり、労働には向かない人も多く、翌年40名ほどが帰国。約100名がハワイに残る。
    ◆明治元年
  • 1863年
    四世の兄ロットがカメハメハ五世として5代目王になる
    カメハメハ五世
    経済をささえていた捕鯨から砂糖産業に大きく変換。西欧人が経済界を牛耳る時代へ。
  • 1860年
    捕鯨に代わり砂糖がハワイ王国最大の輸出品に
    石油発見や事故により捕鯨が休息に減少。
    ◆日米修好通商条約批准のためにサンフランシスコに向かう日本の使節団を乗せた米海軍のポーハタン号がホノルルに寄港。カメハメハ四世に謁見。その帰路、ホノルル港に寄港し、使節団副使の木村摂津守喜毅、勝海舟等が四世とエマ王妃に改めて謁見。通訳はジョン万次郎。その際、四世より、砂糖農園での労働力確保のために日本からハワイへの移民の要請あり。
    エマ王妃
  • 1855年
    カメハメハ大王の孫(三世の養子)アレキサンダー・リホリホが四世として4代目王になる
    カメハメハ四世
    カメハメハ四世は公私ともに英国との関係を重視した王。
    カメハメハ四世とアルバート王子像
    カメハメハ四世と妻のエマ王妃、息子のアルバート王子像があるのはここ
  • 1852年
    外国からの移民の受入決定
    ハワイアンの人口減少の一途のため、砂糖産業の労働力を確保。中国から初の移民が来島。
  • 1850年
    カウアイ島コロアで西欧人によるサトウキビ栽培開始
    7国からの移民ブロンズ像
    コロア観光記
    西欧人の来島によりもたらされた病気等が原因でハワイアンの人口が減少
  • 1849年
    アメリカ合衆国と和親条約を結ぶ
    米国西海岸への輸出増加が砂糖生産に拍車。南北戦争による南部からの砂糖販売が途絶えたこともあげられる。
  • 1848年
    グレート マヘレと呼ばれる土地の分配を施行
    外国人の土地所有も認められ、西欧人により砂糖農園の規模は拡大の一途を辿る。ハワイ島北部に広く広がるパーカー 牧場もこの時代に始まる。
    パーカー
    パーカー牧場
  • 1845年
    ハワイ王国の首都ホノルルに移す
    捕鯨の基地として栄えたマウイ島のラハイナから移す。
  • 1841年
    ジョン万次郎鳥島で救助されホノルルへ
    ハワイ王国をはじめてその目で見た日本人の一人。
  • 1840年
    ハワイ王国の憲法布告
    カメハメハ三世ハワイ王国の憲法布告。ハワイ語で作成された。
  • 1825年
    カメハメハ三世が3代目王に
    カメハメハ三世
    カメハメハ二世の弟カメハメハ三世が10歳で3代目王に。1832年までは義母カアフマヌが摂政を務めた。統治した30年間、ハワイ王国は列強の影響をもろに受け、国の存在すら危うくなることも度々。経済は捕鯨船の補給と販売の中継基地として繁栄。
    ラハイナの町
    ハワイ王国の首都であり捕鯨の基地ラハイナ
  • 1820年
    宣教師来島
    キリスト教の布教始まり西欧文化がハワイアンの習慣に大きな影響。
  • 1819年
    カメハメハ大王の長男のリホリホがカメハメハ二世として2代目王になる
    カメハメハ二世
    カプ制度が崩壊し西欧化が進む。
  • 1810年
    カウアイ島王から2島も移譲され8島全て統一
    カウアイ島の統治者カウムアリイ王は最後まで独立を維持していたが、カメハメハ勢力との戦争を避けるためハワイ王国への平和的加入を決断。
  • 1806年
    最初の日本の漂流民来島
    漂流した安芸の稲若丸の8名が米国の捕鯨船に救助されホノルルに。
  • 1795年
    ハワイ王国成立
    カメハメハ王
    カメハメハ大王はマウイ軍に勝利した後、オアフ島のヌウアヌパリで勝利しカウアイ島・ニイハウ島以外の島々を統一。
  • 1778年
    英国のジェームズ・クック船長がハワイ諸島を発見
    ハワイ諸島を「サンドイッチ・アイランド」と名付けた。ハワイは貿易船の補給や越冬地として西欧人が来島するようになる
    当時20歳頃のカメハメハ(大王)はクック船長と親交を深め領地の統治の仕方や大砲の使い方を習得。ヘイアウを造り着々と戦闘の準備を進める。

西欧人来島前のハワイ

ハワイの歴史がわかるオススメ映画

日系移民の生活を描いた映画
ピクチャーブライド「Picture Bride」
ピクチャーブライド ピクチャーブライド「Picture Bride」
1枚の結婚相手の写真をたよりにハワイに渡るピクチャーブライド。当時2万人以上いたと言われています。花嫁たちにとってハワイは決して憧れの楽園ではなく、炎天下のサトウキビ畑で働く、辛く厳しい労働の日々でした。

ハワイ王朝最後の女王の物語
プリンセス・カイウラニ「Princess Kaiurani」
プリンセス・カイウラニ プリンセス・カイウラニ「Princess Kaiurani」
ハワイの利権と土地が持つ可能性に目をつけたアメリカ人の策略で故郷をおわれながら、愛する国家と国民の権利を求め、23歳という若さで病に倒れるまで戦い続けた悲劇の美しいプリンセスです。

ハワイの歴史まとめ

ハワイ語は文字を持たない文化なので、歴史的文献が乏しく、カメハメハ大王の生まれなど正確なことはわかりません。

ハワイは太平洋の真ん中にあるどこの大陸からも数千キロ離れた遠い島、イギリス人のクック船長の来島以降、新しい文明や病原菌、生物、宗教がハワイに入り、ハワイの生態系と文化に大きな影響をもたらしはじめました。

ハワイ州の州旗にイギリスの国旗が入っていることからも影響力がわかります。
ハワイ州旗

西欧人の来島とともに病気等が原因でネイティブハワイアンの人口が激減したことにより、労働力として日本から移民がハワイに渡りました。

日本移民総計22万人、大正9年には日系人の割合はハワイ人口の約42.7%。
今、ハワイで日本人が受け入れられるのは、アロハの精神とともに、日系人がハワイで築いてきてくれた歴史のおかげともいえるのではないでしょうか。

2014年12月からハワイ州知事を務めているデイビッド・イゲ氏は父方の祖父母が沖縄出身者です。