学生時代、ANRIの「ラハイナハイナ・・・♪」という歌があった。
たしか「マウイムーン」という曲だと思いましたがこのワンフレーズだけしっかり覚えている。
あの歌の場所に来たんだ!と思うと何か距離と時間を飛び越えて来た気がしてしまいます。
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残酷な太陽
「ラハイナ」とはハワイ語で「残酷な太陽」の意味。「残酷なまでに暑い灼熱の太陽」というような意味。ラハイナは、マウイ島の中でも、もっともうだるような暑さと湿度。
太陽がジリジリ照りつける感覚は、3月でも実感できましたぁ(;´Д`)。暑い~。暑くて暑くてやたらと喉が乾くのです。
アメリカで最大のバニヤンツリー
1873年にはじめて宣教師が訪れてから50周年を記念して植えられたこの木は、今ではアメリカで最大のバニヤンツリー。アーティストが個展を開いたりして観光客で賑わっています。日本人はほとんどいません。
1845年、カメハメハ3世によってホノルルへの遷都をするまでは、このラハイナがハワイ王国の首都でした。
ラハイナは19世紀半ばは、捕鯨の基地として栄えた町で 沢山の帆船が港の中に停泊したものでした。
港町らしい風景
その名残のように、今でも海で魚が採れると採れた魚のマークの旗を掲げます。
これはマヒマヒだろうか?
ちょうどカジキマグロが釣り上げられてました。カジキマグロがあがるのは珍しいそうです。
本物を始めてみました!!大きい。
ダークなものも
捕鯨全盛期の裁判所。
ラハイナの一等地とも言える場所に、裁判所があるのは何故?
当時は治安がかなり悪く、気性の荒い船乗り達が罪を犯した場合はここで裁かれていたのです。
現在はビジター・センターとなっているので見学できます。1階はギフトショップでした。
この大砲は、ラハイナ沖で沈没したロシア船から引き揚げられたものだそう。
陸から海に向かって設置されています。
1859年のペンシルバニアでの石油発見以降、鯨油価格は暴落。
また、1871年には多くの捕鯨船がベーリング海峡で氷に閉ざされるという事故が起き、捕鯨は急速に減少してしまいました。
クジラがやってくる!
捕鯨はなくなりましたが、今でも、クリスマスから3月にかけてはクジラがやってくるので、ホエールウォッチングを楽しむ観光客で賑わいます。
クジラの尾びれを見たら幸せになれるそうです。
日系移民の歴史あり
捕鯨に代わった産業がサトウキビ産業です。
日系移民もこの地域のサトウキビ農園の労働者として多く入植しました。
なので、町には本願寺や浄土宗などのお寺があります。
マウイ島への日本移民のドラマ「波の盆」があります。
ラハイナの町の様子
ラハイナの町は、個性的なギャラリーや看板が多くおしゃれな町です。
ギャラリーは個性的過ぎて好き嫌いがはっきりしそうです。
ABCストアーも景色に溶け込んだカラー
ラハイナは、のんびりしたノスタルジックなところです。