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写真を頼りにハワイへ嫁ぐピクチャーブライド「Picture Bride」

以前からとっても気になっていたハワイの映画。主演は工藤夕貴。

レンタルで探しても見つけられなかったので、思い切ってAmazonで英語ヴァージョンDVDを購入しました。

どうしても観たかった!

途中日本語のシーンもあるし、英語の字幕を表示することもできるし、“なんとか”ストーリーは理解できました。

STORY

1918年(大正7年)、両親を亡くした16歳のリヨ(工藤夕貴)は、叔母からハワイのサトウキビ畑で働いている日本人青年の写真をみせられ、縁談をもちかけられる。

「新しい土地でやり直してみない?」。

リヨは、写真1枚だけで結婚を決める「写真花嫁」(ピクチャーブライド)となってハワイへ渡る。

ハワイに到着してから、夫となるマツジに初対面するのだが、目の前のマツジと写真とのあまりのギャップに愕然とする。

そして、ハワイでの暮らしは思い描いていたものとはまったく違い、炎天下のサトウキビ畑での農作業、さらに洗濯の仕事と、きつい労働に明け暮れる毎日だった。

ここから何を見出すのか・・・

祖父母の話がもとになった映画

監督・脚本のカヨ・マタノ・ハッタ、マリ・マタノ・ハッタは日系三世の姉妹。彼女たちの祖父母の話をもとにこの映画を製作したそうです。

若い時の写真を送って年齢をごまかしたり、自分ではないかっこいい男性の写真を使うことは実際にあったそうで、それゆえ、浮気や駆け落ちなど悲惨な結果になることもあったそうです。

日本から渡ったピクチャーブライドは、2万人以上いました。

花嫁たちにとって、ハワイは決して憧れの楽園ではなく、炎天下のサトウキビ畑で働く、辛く厳しい労働の日々です。

彼女たちの心情が「ホレホレ節」という民謡からもよくわかります。

そんな辛い毎日の中にも、人々が協力しあい、助け合い、励まし合い、自分の生きる場所と希望を見つけ出していくという、当時の日系移民の生活がよく描かれている映画です。

見知らぬ土地に渡り、辛抱強く働き、次の世代に希望をもたらしてくれた、日本人開拓者たちに感謝します。

こうして、私たちの祖先は世界で活躍してきたと思うと胸があつくなります。

映画の舞台はハワイのどこ?

撮影の大半は、オアフ島のワイアルアのサトウキビ畑で行わたそうですが、実際の舞台はハワイのどこなのかはわかりません。

マツジの台詞に「この花はワイメアでとってきた」という台詞があるのです。

「ワイメア」という地名は、ハワイに複数個所にあります。

ワイメア近くのプランテーションということから、オアフ島ノースショアのワイアルアか、カウアイ島のコロアのどちらかでしょう。

▼オアフ島のワイアルア(Waialua)

▼カウアイ島のコロア(Koloa)

ハワイで初めてサトウキビ栽培に成功したのは、1835年カウアイ島コロアです。

ここには温暖な気候、肥沃な土地、豊かな水があり、野生のサトウキビが一面に生い茂っていました。

アメリカ本土から渡ってきた3人が、カメハメハ三世から土地を借り受け、コロア・プランテーションを作りあげたのです。

コロアにあるプランテーションで働く7人のブロンズ像

サトウキビプランテーションの碑

コロアという小さな町からサトウキビプランテーションは始まった

三船敏郎が登場?!

映画の中に登場する、活動写真の弁士役は三船敏郎に間違いありません。

映画の中では、労働者の娯楽として、活動写真や盆踊り、男たちが出入りする賭博場なども描かれています。

メイキング映像

映像の途中に三船さんが登場します。

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サトウキビ畑の労働から生まれた民謡「ホレホレ節」

映画の中でサトウキビ畑で作業をしながら歌う「ホレホレ節」があります。

「ホレホレ」とは、サトウキビの枯れ葉を手作業で掻き落としていく作業のことで、炎天下での作業の中、ともに励ましあい、力を合わせるために、サトウキビ畑の労働の中から生まれた民謡です。

当時の移民の気持そのものがストレートな歌詞に現れています。

ホレホレ節

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